認められるということ

今日、出勤中に一昨日の結婚式の新婦さんからお礼のメールが入りました。
読みながら場面場面を思い出して一人電車の中でぐっと来ていました(笑)。
そしてほんとにやってよかったなと改めて思った。

昨日の幹事の友達が言ったように仲間と何かを作り上げるという事の良さももちろんだし
何よりもこうして自分達がやったことに感謝されるということが何よりの達成感や充実感を与えてくれます。
参加者の人たちからも声をかけてもらったのも嬉しかったし。

こうやって感じてる実感そのもの、大切なことだと思う。

大変なことでも報われたと思えることには人は強いと思います。
自分がやったことが結果を出し、反応が得られてやったことに意味を感じられる。
それがあればまた頑張ろうという気持ちが自然と生まれます。

自分がしたことに反応があったり認められるということは、つまりは自分自身が認められたと感じられるということでもあると思います。

多かれ少なかれ、人は誰かから認められたいと願ってると思う。

前に働いてる友達何人かに、どういうときに仕事をやっていてよかった、嬉しかったと思ったか、またこれからも頑張ってやっていこうと思ったか、ということを聞いたことがあります。

やってる仕事はみんな違ってるけど、
「人のサポート的な仕事をして感謝されたとき」
「年賀状にさりげなく自分が見えないところで頑張っていたことを褒めて書いてあるのをもらったとき」
「自分と話をして、話に来る前より安心感をもってありがとうございましたと言って帰っていったとき」
「教え子が部活を上達したり、勉強ができるようになって嬉しそうに話してくれるとき」
などなど。。
お金を手に入れたとき、物を買ったときとか言った人は今までいなかった。

自分がしたことで人の何かが変わってくれること、何かを与えられること、そういうのを感じられたときに、、ということが多かったように思う。

また、中学教師をやってる友人がこう言ったこともあります。
「あいつら(生徒達)がスカート短くしたり、派手な格好するのもなんだかんだ言っても自分達を見て欲しいからなんだよ。関心を持ってもらいたいんだ」

きっとそういう子供達も、仕事をしている大人達も根っこにあることは変わらないんじゃないかと思った。

出勤してわかったことなんだけど、同じグループの同期の女の子がやはり体調を悪くして半月以上休んでる。
仲のいい子の話ではやはり仕事のことが主な原因のようだけど、その中で彼女が言ったことに
「朝、挨拶しても誰も返事をしてくれない。画面をずっと見てる」
というのがあったらしいです。
もちろんこれが一番の原因じゃないだろうし、完全に意識的に無視をされたわけでもないと思う。
でも確かにうちの職場は挨拶できない人ばかりです。

確かにコンピュータは挨拶しなくても、愛情をかけなくてもちゃんと動いて答えを返してくれます。
でも俺はストレスを感じた彼女の気持ちはわかります。
挨拶しても返してもらえなかったときのあの感じ。一瞬で小さなことのようだけど、その一瞬が大事だと思う。

自分の声に反応してもらった。それだけでほんの小さなことだけど自分がいることを認めてもらったと感じられる。

どんなところにいても、大人でも子供でも、人との人のつながりの中にいます。
その中で本当に大切なことは、普段は見逃しがちなほんの些細なことの中に隠れているんじゃないでしょうか。

この休みの間に気づいたことの一つです