普通であることのすごさ

ちょっと前の話だけど、学生時代の友達とラーメンを食べに行ったときのこと。
音楽の話じゃないかもだけどあえて「バンドマンの語り場」テーマで。

今は会社員だけど音楽経験が長い彼はプロやプロを目指しているバンドマン、ミュージシャンとも交流を持っているのだけどそんな中で「音楽で飯を食べている(もしくは食べようとしている)人達はサラリーマンをどこか見下しているように思っている人が多い気がする。でもそういう人達は会社員の本当の大変さを知らないで言ってる」という話があった。

確かに既存の価値観やレールにとらわれず、自分自身で道を作った人からしてみればやりたいことも特になく会社に使われてるかのような生活をしてる人を冷めた目で見てしまうこともあるのかもしれない。

同じように向上心・成長意欲満々になっている人も似た状態になることがある(これは自分も含んでいる)。自分が前向きで充実して、どんどん進んでいるときはそういう姿であることに価値を感じて、そうじゃない・意欲がなさそうだったり自分の考えをもってなさそうだったり努力してなさそうに見える人のことをやはり冷めた目で見てしまうことがあるように思う。。「この人はふつ〜の人なんだな」とか。

でも、「ふつ〜」に見えることってそんなに簡単なことか?きっとそんな簡単なものじゃないはず。
仮に自分が他の誰よりも努力をしていたとして、生き生きとしていたとしてそれを「優越感」というところで実感したとき、何かがずれてくるような気がするんだな。うまくいえないけど。

優越感を感じること自体は悪いことじゃないと思うけど、発言や行動が最終的に「自分が優越感を感じたい」という目的のもとに(それも半分は無意識のうちに)行われたものはどこか微妙な結果を招いていくような気がする。

個人的には優越感を感じたときはそこで一瞬ブレーキをかけて客観的にならなくてはいけないサインだと思っている。

そういえばその友達とこの話をしていたときに思い出したページが↓。今日の話の主旨とはちょっと違うかもしれないけど。
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/suteki/su541401.htm