目に見えるものと見えないもの

最近、仕事場で愚痴や文句を耳にすることが増えてきてる。
愚痴や文句を我慢していると体に毒がたまって疲労してしまうから吐き出したほうがいい。

でも吐き出し方には注意が必要だ。

マイナスで後ろ向きな言葉には他の人をもそういう状態に引き込んでしまう強烈な負のエネルギーがある。

あまり敏感になりすぎてもいけないけど、そういうものを頻繁に浴びているとどんどんパワーを奪われていってしまう。おそらく言うほうは悪気はなくて吐き出したかったりわかってもらいたいだけなんだと思うが、まったく違うことを抱えて違うペースを持っている人に一方的に接していると、たいてい相手は離れていく。

他人を変えることは不可能に近い。違うものを受け入れるための大きさを自分に持つことはとても大事だけど、必要以上に負のエネルギーを発していたり何か自分にダメージを蓄積してしまうような相手なら離れるしかないからだ。

それくらい人から人は影響を受けるし、人に影響を与えてる。良くも悪くも。

目に見えないものの積み重ねが目に見える形になっていることは実は結構ある。
エネルギーとか影響とかそういうのは見えなかったり計れないものかもしれないけど、そういうものの結果が自分の身の回りの何かという目に見えるものになっているということはある。

逆に言えば目に見えるものの裏側を見る目を持つ必要があるということにもなる。

「それがそう見えるのは、その形になったのはどうしてなのか」

ファッションモデルが持つ綺麗さも、インターネットプロトコルの標準についても同じだ。お金をたくさん持ってる人も、友達をたくさん持ってる人も同じ。そして、その逆もしかり。

目を凝らして見つめれば必ず見えないものが見えてくる。
そんな目を養っていきたい