解離

4時間強しか睡眠を取らなかったが結構平気なもんだ。

昨日今日と二つのオフィスの間(徒歩10分)を2、3往復していた。無駄な時間にも思えるけど外の風にも当れるし気分転換にもなるし、何より運動になる。元もと体動かしてた方が調子が良い方だし。それに足を運んで行ってしっかり仕事してそれでその場を後にして帰ってくる、というときの気分は良い。毎日同じ椅子と机で仕事しているよりも。

そんな感じで今日は仕事をテキパキやったのでまずまずの一日。明日にも良い形で繋げる。

そう今日やったことは明日に繋がるんですね。別に仕事じゃなくても。全てのことは連続していてその積み重ねになってる。

4.5号のAREAに「26歳のハローワーク」という記事がある。
村上龍が「13歳のハローワーク」を出版して80万部を超えるベストセラーとなっていることは知ってる人も多いと思う。
村上龍は「想定したのは10代のこどもを持つ親の世代だった」というが実際に買った人の3割は20,30代の女性だったらしい。

やりたいことがみつからない、好きなことがわからないと口々にいう今の20,30代のことを「大人になりきれない若者」と表現してこの記事は書かれている。

この大人になりきれない若者達に共通しているのは現状と願望が大きく離れていることがあるらしい。なるほど確かにやりたいこと、好きなことが見つかれば今もんもんとしている「仮の自分」から抜け出せるはずだ。確かに誰だって一度は考えてしまうようなことだろう。

でも、高い目標を掲げるのは素晴らしいことだけど、それは必ずしも挑戦ではなく、「逃避」心理の表れでもないかという声もある。「いま」ではない「いつか」、「ここ」ではない「どこか」へ思いを馳せることで自分を保つ。

一見、本当の自分探しのように思えるけれどもそれが「いま」と大きく解離している限り、挑戦よりも逃避の色が強くなってしまうのかもしれない。

正直自分にも思い当たるフシはあったりする。確かにライフワークとして取り組んで行きたい方向はあるけれども、そこに逃げ込んではいけない。例えば今日のようにそれなりに一日終わってまずまずと思えるくらい目の前ことをやって気分良く帰ってこれたら、先のことを考えてもよいというくらいがいいのかもしれない。

全てのことは連続している。いきなり自分や環境が見違えるほど変わることなんてないし。遠く離れた時間や場所ではなくて連続した「いま」そのものに自分は既に「いる」のではないかな。たとえ「いま」の自分がもんもんとしていても連続した時を大切に積み重ねていくことは、「曖昧な本当の自分探し」よりも大事なことなのかと思う。