これは微妙に愚痴の類かも

前職では感じたことがなかったけど、現職についてから感じるようになったこと。。
あまりポジティブな内容でないのだけど。

仕事は成果・結果が求められる(もちろんプロセスも大事)。

一人でできることは限界があるので、多くの場合周囲と協力しながら目標に向かい結果を出すようにがんばる。
仲間と力を合わせて自分や周りが刺激しあい、成長して結果が出れば最高。
そのために必要なことはどんどん取り組むべし。

そう思っていた、そう思っている。

しかし、人の感情というのはそう単純なものでもないらしい。

仕事の中身、プロセス、結果よりももっと大事なものがあるというものだ。

面子、とか、上下関係、とか、他者と比べたときの自分の優位性、とか仕事の本質とはちょっと違うところ。

もちろん、これらは誰でも気にするものだし、してしまうし、くだらんものと言い切るつもりも無い。
自分にだってありますからな。

しかし、そういうことを重視するあまり、本質を忘れてしまってはいかがなものか。

何か良い経験をや良い情報を得たりしたとする。
みんなで成長して結果を出すことを大切にすれば、自分が持っているものを組織や周りに提供したり、成長の材料とする意識、行動が生まれるはず。

しかし、他者との差別化を図るために、これを囲う人がいる。周りに成長してもらっては困るのだ。そうすると相対的に自分の優位性が下がるように思えるから。

これは一例。

有益なものは周りに提供せず囲う、自分の仕事レベルが見えないように仕事を囲う、プロセスを隠す、報告しない、共有しない、コミュニケーションは最低限、他者(特に自分のポジションに絡む相手)への目線は厳しい。

こんな感じで、自分の優位性やポジションを守ることを優先する思考、以前は考えもしなかったようなことだけど、これが以外に多い。

しかも、こういう思考の持ち主が権限を持つこともある。さらにやっかいである。
自分の経験や考えていることのレベルが見えないようにするためポリシーや方向性、目標を示さない、自分がしてこなかったことを部下に求める、自分のやってることは見えにくくするが部下には透明性を要求する、力を発揮できないように萎縮させる、自分の予想以上の成果を出させないように権限を与えるのは自分がすべて経験して理解しきったことのみ、などなど。

残念な話である。

でも、もしかしたらこういうのは少なくなく、むしろ当たり前なのかも。特に管理系の仕事だとなおさらかな。
攻めて稼いでくる職種ではない分、組織の中でどういうポジションを得るかがなんだかんだと重要になる。すると、仕事のレベルはどうだとしてもポジションを得てキープできれば飯は食える。そのためには自分が成長しても良いのだけど、ライバルがいなくなったり、ライバルが現れないようにすることでもいいのだ。

同業者と思われる人のブログなんかでもまさに同じような内容のエントリなどを見たこともある。最近買った「PRESIDENT(プレジデント社)」の評価制度の話の中でも、現場の管理職が部下に恣意的な評価をするというくだりで、
『実際、ある総合商社の元役員はこのあいまいな評価を巧く操作することで、「自分のライバルになる部下を少なくとも30人は潰した」と自慢気に語っていた』という記述も。

残念な話だ。

バンドとかをやっていると、アンサンブルにおいて出し惜しみなぞしてる余地など一切無い。周りの楽器とせめぎあい、磨き合って1つの作品を作り上げる。自分が持ってるものを出し切って、お互いに持ってるものを通わせて、自分も作品も磨かれていく。もちろん、自分ひとりで黙々と鍛錬することも大事。あいつに負けないように、と。そう思わせてくれるライバルの存在は貴重。でも、ライバルは潰すものじゃない。潰す対象となったらライバルでも仲間でもなく、「敵」だ。

音楽と会社員の仕事は違う、といえばそれまでだし、音楽が常に素晴らしくて会社員がダサいということを言いたいわけでもない。

ただ、誰かに貢献してその結果自分が成り立っている。その一番身近なものが社会における仕事だと思うし、ならばそれに取り組む上で何が大切なことなのかはしっかり心に留めておきたい。

別に周りが自分より優位でも構わない。例えば、部下や後輩ができたとしても、いつでも追い抜いてくれ、そのために提供できるものは何でもやるし(それがときにやさしさだったり厳しさだったりするだろうけど)、逆に自分も下の人間から学ばせてもらい、負けないように努力もしながらよきパートナーに。そして一緒に働けてよかったとか、成長の糧の1つになったと思えるようになれば、それは小さい世界に限ってのポジションにしがみつくよりよほど素晴らしいことかと。

それは理想論で奇麗事、それで自分がリストラされてしまっては元も子もないという見方もあるかもしれない。

でも、与えたものはいつか返ってくる。そう信じたいものです。