【ブログ格差社会の始まり〜個人力×法人力の両極分解】
最近はこのブログは全然手をつけず、mixiばっかりやっていますが、たまたま見つけたネットの記事が以前目の前で話を聞いたことのある方のものでした。ちょっと印象的だったので紹介。
【ブログ格差社会の始まり〜個人力×法人力の両極分解:久米 信行氏】
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20071225/290215/
この方が言及しているのは「ブログ」であり、SNSのようなクローズドの場所ではなくて世の中に向けて広く情報発信することについてのお話になってます。でも、ネットワークを利用して情報発信するという意味では根本的には同じことがあると思う。
この方はブログを【使うヒトと使わないヒトの「個人力格差」はいずれ深刻化】すると言っている。そして、その個人の集合体である法人もまた力の差が出ると。
私個人としては、ブログやSNS、メールマガジンを絶対にやるべきで効果は絶大!とまでは思っていません。これらをやっている方がやっていない方よりビジネスその他の領域で必ず優れているかといえばそんなことはないはず。ブログをやれば企業は成長する?というほど簡単なものではないでしょう。
とは言え、この方が言うような効果も間違いなくあると思う。
非常にアナログで根本的なところから言えば、何事も積極的にやる人のほうがいろんなところで伸びる可能性があるのは言うまでもない。
それに文章を書くということは、頭の中にあることを組み立て、形にすること。仕事も何でも相手がいてこそ成り立つもの。自分の中にあるものを表現して第三者に伝える力は仕事の上でも重要だけど、文章を書き続けることはこれをある面で鍛えることになる。また、自分を客観視することもできる。
さらに、人の目に晒されることでそれに見合うようなものを作ろうという努力がアウトプットの質を高める。
これは個人的な意見だけど、人は見られないと成長しないと思う。歌も、毎日何時間練習してすごいトレーナーについたとしてもステージに一切上がらなかったらどこかで必ず行き詰る。下手でも、笑われても、人目に晒される緊張感の中でしか得られない恐怖や喜びを体に刻んでいくことが成長の一番の糧になる。これは安全安心な自室に閉じこもっていては絶対に得られない。見えない部分の努力と、晒される場所に飛び出していくことの両方が大切。
このあたりはブログに限らないアナログ面だけど、ブログのような「情報」発信において言えば、「情報は発進する人に集まる」ということが言えると感じる。これはさまざまな場所で多くの人が口にしているし。
自分の中にあることを囲い込むことで他者との差別化が図れていると思いきや、一時的にはそうだとしても、長い目で見たらどうだろう。「本質は変わらない、だから本質をつかんでいれば世の中の上辺の変化に振り回される必要はない」というのは真理かもしれない。しかし、物も人も「本質」だけでは語れないはず。それをとりまく多くのものは、やはり変わります。それから目をそらしていては何が本質かもわからなくなるかもしれない。
変わらない幹を持つことと、柔軟に枝葉を伸ばしていくことは両方が大切に思う。そのためにはまず自分なりの根をしっかり持ち、幹を成長させ、そして自分から積極的に外に向かって葉を広げ、自分はこういうものだと示すことで、太陽の光や新鮮な風を受けられると思う。そうすれば幹もより太くなり、伸びやかに成長するのでしょう。
最近、この手のことを考える仕事をしてるのでちょっと書いてみました。