阿吽の呼吸その2

以前、阿吽の呼吸について感じたことを書いた。最近また思ったので再び。

http://g.orera.hatena.ne.jp/1099577173
にあるような話題を見てどう思うだろうか。

察する文化とか気持ちを汲み取る、思いやりをもつとかそういうのは人間関係や生活の中において大事だと思うし、すばらしい文化だと思う。

しかし、こと仕事において、それも決め事に関してまでこの風潮を持ち込むとややこしいことになる。↑の話題みたいに外部との交渉事のみならず、内部的な仕事を進める上でも似た部分はかなりある。

3年目になっても今の職場のまさにそれありきな仕事のやり方は合わないし、あまり合わせる気もない。

・物事はあまり検討しない、決めないでやり始める
→だってどうせ途中でいろいろ変わるから的文化

・木を見て森を見ずなマネジメント
→木が勝手に育てばそのうち森は見えてくるでしょ的発想

・上司の手をわずらわせないのが良い部下
→上司が必要な情報をくれなかったり全体のことが見えてなくても
 情報をくれ!とか他の部隊と連携させてください!とか言わずに
 黙々と進めるのが良い。上司よりも全体を把握するくらいになって
 段取りやネゴしなきゃ的状況。なんのための管理者なのか。

しかし、これが自分に合わないと思っていても周りが悪いから〜〜〜〜と文句ばっかり言っていても始まらない。これじゃいかんと思うならまず自分からやるしかないわけで自分の権限でできる部分ではかなり努力するようになった。

今までもこの人はデキるなと思う先輩とかを見てると風習が、上がどうであれ自分から風穴を開けようとしていっていた。

・・・そしてほとんどがつぶされるか、反応・協力を得られないまま仕事の波にまた飲まれ、諦めモードになってしまっている。それをその人の力が足りなかったからだ、で済ませてよいものかどうか?

なんにしても最近よくわかってきたのは問題を解決していこうというよりも問題と共存していこうという人が圧倒的多数だということだ。少なくとも俺の周りでは。
「会社ってそういうところだからね」「所詮ソルジャーだからさ」「まあそうやって(自分の時間を売って)金もらってるからね」
全部実際に聞いたことのあるセリフだ。