伝える力
最近、主に仕事の中で感じることで、仕事以外にも言えそうなこととして「伝える力」というキーワードがある。
たとえば、自分はIT関連職なわけだけど、技術的なことだろうがそうでなかろうが当然他の人と関わりながら仕事する。
自分が作った仕組みを周知するとき、相手の疑問に答えるとき、企画していることを説明するとき・・・様々なところで自分の頭の中にあること、やったこと、経験したことを人に伝える場面がある。
このとき、要素技術そのものについての経験・知識が十分であることも大事だけど、それをベースにして第三者にどう説明するかということはまた違った素養が求められる。
たとえば資料一つ作るにも、そのボリューム、構成、噛み砕き方、文章と図の使い分け・・・、実際に対面で説明するときにも、その話し方、言葉遣い、場合によって立ち振る舞い・・・さまざまな要素がある。これはこれで立派にスキルであり、逆に言うと磨かないと力はつかない。
技術力が優れていてすばらしいものを作っても、それが本当に価値や意味を持つのは、回りと共有でき、役に立ってからだ。すばらしいものが回りに伝わらないのはもったいないこと。であれば、回りにうまく自分のやったこと考えたことを伝える力は磨いて損はない。
これは技術に関連した話だけじゃない。仕事全般、もっと言えば他者と関わりながら何かをする上ではいつでもどこでも大切なこと。
上司と部下や同僚、友人同士、家族間、サービスする側と客・・・いろんなところでお互いがそれぞれのニーズに応じて何かを伝え合っている。うまく伝えられればいいのだけど、思うように伝わらないことも多い。結果として相手が自分の望むような対応してくれないことにいらだったり、時に損失を生むことも。
お互いの関係に利害関係(たとえばどちらかが客)や上下関係(上司・部下など)が絡むとなおさらそうなりやすい。たとえば客は要求する側で雑に伝えても良く、サービスする側は一生懸命汲み取る側、みたいな思い込み。確かに関係上、いつでも誰でも平等、対等とはいかない。どちらかの負担が多くなることもある。
しかし、本来、人に何かを伝えるということはその先に本当の目的があるはず。それを忘れていなければ、立場に関係なく、伝えたいことがちゃんと伝わるように、伝える側がそれなりの努力をしなければならないはず。その内容が手続きであっても依頼であってもクレームであっても、だ。
伝えることはコミュニケーションの本質と言ってもいい。そしてコミュニケーションの先には関係の構築や維持がある。良質なコミュニケーションと良質な関係は密接な要素。であれば、そこにある程度の力を入れることは意味がある。
ある担当者が外部業者に依頼をするとトラブルになることが多い。担当者は言う「あの業者は本当に使えないな」。
別の担当者が同じ業者と仕事をする。たいていはスムーズにいく。担当者は言う「あの業者とはいい仕事ができる」。
そんな場面を見たとき、何が違うのか注意してみると、きっと見えるものがあるはず。
受けて、聞き手の責任ももちろんある。しかし、伝える側が担ってるものはやはり大きい。そして、伝える力はほうっておいてはなかなか向上しない。努力も勉強も必要。さらにその根底には思いやりや誠実さも必要かもしれない。
伝わらないと感じたとき、相手を責める前に自分の行いを振り返るようにしたい。